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Golden record

 昭和36年(1961)7月21日「中村八大リサイタル」で発表された「上を向いて歩こう」は、その後、NHK総合TV「夢であいましょう」今月の歌(10〜11月)で歌われるとたちまち大人気に。番組には楽譜を求めるリクエストが殺到した。その年の「NHK紅白歌合戦」に初出場し、涙をこらえながら上を向いて歌う姿は、お茶の間に深い感動を呼んだ。
 1963年5月3日、「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」というタイトルでキャピトルレコードより全米発売。翌週5月11日には早くもアメリカ・ビルボード誌のヒットチャート「Billboard Hot 100」にランクイン(79位)。5月18日は45位、25日には20位、6月1日に10位。8日2位と上り続け、遂に6月15日「Billboard Hot 100」で全米ナンバー1に。(6月15日、22日、29日と3週連続1位、キャッシュボックス誌はさらに7月6日までの4週連続で1位を獲得した)。

 1963年8月13日、アメリカABCテレビの人気番組スチーブ・アレン・ショー(Steve Allen Show)に出演のため渡米。8/15ハリウッドのスタジオで収録を行い「上を向いて歩こう」を歌う(8/27OA)。収録2本目は「オールナイトで踊れたら/I Could Have Danced All Night」を歌う。この出演でさらに売り上げが伸びて100万枚を突破。日本人として初めてのゴールデンレコードを受賞。昭和39年5月15日、ホテルオークラでの授賞式には母いくさんも出席。めだたないように会場の隅の方で目頭を押さえたままだったという。


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あゆみの箱チャリティ

 昭和38年、全国的に小児麻痺が大流行しました。俳優の故・伴淳三郎さんと故・森繁久彌さんは小児麻痺に苦しむ子どもたちに光をあててあげようと手を取り合って心身障がい児施設を訪ね歩き、奉仕活動を始めました。
 この運動は瞬く間に役者仲間に伝わり、劇場や街頭で募金が始りました。坂本九ちゃんもその中の一人でした。
 募金箱は「この募金箱によって手足の不自由な子どもたちが歩めるように」との思いを込めて『あゆみの箱』と名付けられました。俳優、歌手の皆さんが参加した「あゆみの箱チャリティショー」はフジテレビで中継放送され、坂本九ちゃんが歌う「ともだち」は大きな感動を生みました。
 こうして集まった募金は全国の施設に寄付され、現在に引き継がれています。


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山形県立長井工業高校定時制課程閉校記念の会

 山形県立長井工業高校夜間部の卒業生、植物画家杉崎紀世彦氏から、坂本九ちゃん宛に一つの手紙が届きました。

 「僕の家には借景窓『九ちゃんの窓』があります。」で始まる文面には、22歳で長井工業高校定時制機械科に入学したこと、定時制高校の学園生活をテーマにしたヒット曲「見上げてごらん夜の星を」に後押しされて頑張ったこと、部活の後、剣道の防具袋を担ぎながら星空を眺め、将来家を新築することが出来たら、星空の見える窓が欲しい・・・等と夢見ていたこと。そして念願の家を山形市に建てることが決まった時、吹き抜けの玄関に大きな窓を作ったこと、さらにその定時制科が閉校になってしまうことなど。

 その母校の定時制閉校記念の会で九ちゃんと一緒に見上げて・・・を歌いたいという内容の手紙に、坂本九ちゃんが「これは仕事ではないから是非行きたい」と答えて実現。昭和57年3月、定時制課程閉校記念の会で憧れの九ちゃんと一緒に歌う姿は新聞紙面を飾りました。


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九ちゃんの星 小惑星Kyusakamoto6980

 火星と木星の間に無数にある「小惑星」と呼ばれる無数の星たち。その中に、九ちゃんの名前が正式に命名された「九ちゃんの星」があります。
 1993年9月16日の夜、北海道北見市郊外の美幌町にある津別観測所で、渡辺和郎さんと円館金さんの二人のアマチュア天文家によって、16.5等級の明るさで発見された仮符号1993SV1の星。その後、数多くの追跡観測から、天体の発見計測情報の第一人者中野主一さん(兵庫県)らの手によって軌道が詳しく計算され、1996年11月に正式な小惑星番号6990が確定しました。

 番号の確定した小惑星には固有名をつけることが学界で認められており、小惑星6980番には、坂本九さんの「9」の数字のほか、作詞家の永六輔さんの「6」、作曲家中村八大さんの「8」それぞれの名前の数字にちなむ番号も取り入れられています。

 およそ数キロメートルと推定される「小惑星ナンバー6980」への固有名Kyusakamotoの命名については、坂本九さんの業績をたたえ、木星観測で国際的に著名な広島こども文化科学館プラネタリウムの佐藤健さんや天体写真家の藤井旭さん、グラフィックデザイナーの片桐靖忠さんら三人の方々から提案があり、これに発見者の渡辺さんと円館さんも大いに賛成され、国際文化連合IAUもこれを承認、小惑星「Kyusakamoto6980」が誕生しました。

1960
「悲しき六十才」「ビキニスタイルのお嬢さん/ステキなタイミング」をはじめ、発売するレコードごとに「東芝ヒット賞」を受賞
「悲しき六十才」1960年東芝売上第5位
1961
東芝ヒット賞受賞「九ちゃんのズンタタッタ」
東芝ヒット賞受賞「カレンダーガール」
東芝ヒット賞受賞「九ちゃん音頭」
1962.01.18
東芝EMI特別賞受賞(ヒルトンホテル・真珠の間)
東芝ヒット賞受賞「もう一人のボク」
東芝ヒット賞受賞「一人ぼっちの二人」
1963
東芝ヒット賞受賞「見上げてごらん夜の星を」
東芝ヒット賞受賞「明日があるさ」
1964.05.15
「上を向いて歩こう」(SUKIYAKI)アメリカ・ゴールデンレコード受賞
1963年(S38)5月3日米国キャビトル・レコードよりレコード全米発売
翌週、5月11日には早くもアメリカ・ビルボード誌のヒットチャート「Billboard Hot 100」にランクイン(79位)
5月18日は45位、25日には20位、6月1日に10位。8日2位と上り続け、遂に6月15日「Billboard Hot 100」で全米ナンバー1に。(3週連続トップ)
キャッシュボックス誌のTop 100は、4週連続トップ
1964(昭和39)5月7日ウォーリック米レコード協会会長来日。ここで「SUKIYAKI」がゴールデンレコードに選ばれたことを知らされる
1964.05.15、ホテルオークラで授賞式
1964
東芝ヒット賞受賞「幸せなら手をたたこう」
1965
東芝ヒット賞受賞「ともだち」
1966
東芝ヒット賞受賞「レットキス(ジェンカ) 」
1967.05.08
「レッツキス」60万枚突破記念パーティ
1967.08.15
日本万国博覧会政府出展懇談会委員に吉永小百合さんと共に選任
1968.10.06
リオデジャネイロ第3回ポピュラー音楽祭(ブラジル音楽祭)
第7位入賞「さよならさよなら」
1983.06.11
NTV第1回「日本音楽大賞」奨励賞受賞
1983
財団法人日本音楽著作権協会 JASRAC賞海外部門「上を向いて歩こう」受賞(1回目)
1985.06.08
古賀政男記念音楽大賞入賞「懐しきLove-song」
1985.10.07
ニッポン放送 第15回銀座音楽祭 特別賞受賞
1985.10.13
東京放送 日本作詞大賞 音楽文化賞受賞
1985.11.28
第16回日本歌謡大賞 放送音楽特別賞受賞
1986
財団法人日本音楽著作権協会 JASRAC賞海外部門「上を向いて歩こう」受賞(2回目)
1987
財団法人日本音楽著作権協会 JASRAC賞海外部門「上を向いて歩こう」受賞(3回目)